厳 原料にこだわる 一献の味 己、他者の喜怒哀楽、そして想念と妄想の中、この一献をそそぎ人生を語り合ってください。ロックでよし、お湯割りでよし。薩摩の本格いも焼酎をごゆっくりとご堪能ください。感謝 当主 新福 正志 厳 原料にこだわる 一献の味 己、他者の喜怒哀楽、そして想念と妄想の中、この一献をそそぎ人生を語り合ってください。ロックでよし、お湯割りでよし。薩摩の本格いも焼酎をごゆっくりとご堪能ください。感謝 当主 新福 正志
熟 製法にこだわる 永い年月を経た今でも「ちょしあん」と親しく呼ばれている幻の寺「長寿庵」の跡地があります。今でも影響を与え続けているこの光明の徳にあやかりたく、ここに名ある杜氏達が、当主の感慨をこめた焼酎を造りました。 熟 製法にこだわる 永い年月を経た今でも「ちょしあん」と親しく呼ばれている幻の寺「長寿庵」の跡地があります。今でも影響を与え続けているこの光明の徳にあやかりたく、ここに名ある杜氏達が、当主の感慨をこめた焼酎を造りました。
極 じっくりと時間をかけて造り上げる 文化財 長寿庵跡より 寺「長寿庵」は、「長遠なる寿命を持つ仏への信仰」を象徴する寺で、中世の南北朝時代、各地で戦った戦国武将の石塔や、法華教の仏、日月灯明仏の石塔もあります。 極 じっくりと時間をかけて造り上げる 文化財 長寿庵跡より 寺「長寿庵」は、「長遠なる寿命を持つ仏への信仰」を象徴する寺で、中世の南北朝時代、各地で戦った戦国武将の石塔や、法華教の仏、日月灯明仏の石塔もあります。

戦国武将や僧侶で最高位の石塔が現存する幻の寺『長寿庵(ちょうじゅあん)

 何時の頃出来たのか、またなったのかわかりませんが、長寿庵というお寺がありました。今でもこの辺の人は長寿庵(ちょしあん)と呼んでいます。
 今から六百五十年位前、壱宇治城の城主であった伊集院忠国は、自分の子供の依鎮(俊久)に、この辺の土地を与え治めさせました。
 この辺を当時、黒葛原(つづらばる)と呼んでいましたので、依鎮は自分の姓を黒葛原として、黒葛原俊久と名乗り、父、忠国の一武将として南朝のため各地で戦いました。伊集院が島津氏の土地になった後は、黒葛原俊久の子孫は島津氏の家来となり、代々島津氏に仕えて鹿児島の城下主として栄えました。
 ここは五百年位前の黒葛原氏のものと指定される石塔があります。また、石塔の基礎(土台石)に文明十年十月十日(五百八十年位前)と刻まれた石塔もあります。他に、日月と刻まれた石塔があり、これは、「日月灯明仏」といわれる僧侶で最高位の石塔です。日月灯明仏は「法華経序品」で、「天にあっては日月のごとく 地にあっては灯明のごとく」と、光明の徳をあらわす仏で無量無辺の過去生に出生して法華経を説き、その後も二万もの同名の仏が次々と現れたといわれています。
 今でも影響を与え続けている、この光明の徳にあやかりたく、当主の感慨をこめた「長寿庵」という銘柄の焼酎を造りました。

高僧であった戦国武将『長寿院(ちょうじゅいん)

 戦国時代の武将に「長寿院盛淳」という人物がいます。
 長寿院は、祖父の代に京都から薩摩に移ったと言われており、幼少の頃大乗院に仏門入りし、3歳から高野山で修行の後、11歳で寺を移り修行を重ねました。その後、故郷の薩摩に戻り、安養院住職となり島津義久に仕え、島津氏の九州統一で活躍しました。
 義久隠居の後は島津義弘に家老として仕え、関ヶ原の戦いで西軍が総崩れとなり島津軍が孤立した際、島津義弘から拝領した陣羽織と石田三成から拝領した軍配を身につけ義広の影武者となり、乱戦の末、討死した人物(僧侶)です。享年53。
 この戦国武将の名から「長寿院」という銘柄の焼酎を造りました。

※日本全国に有数の長寿院という寺院があり、長寿院が仕えた島津義弘公の菩提寺「妙円寺」(現徳重神社)もここ薩摩の寺院遺跡長寿庵の近くにあります。
※上述の「大乗院」「安養院」両寺院とも現鹿児島市に存在した寺院で、明治の廃仏毀釈の時に破壊されました。跡地は小学校と中学校になっています。

『無碍の一道なり(むげのいちどうなり)

 当地「長寿庵」はおよそ650年前、南北朝の激動期に建立され、戦国武将や「日月」と刻まれた僧侶で最高位の石塔などが現存する寺院遺跡です。このお寺の長遠なる寿命という長い歴史的な命の輝きの中から本格焼酎「無碍の一道なり」は誕生しました。

『長寿の宴(ちょうじゅのうたげ)

 古来、洋の東西を問わず、人々は酒宴を催し触れ合うことによって 理解を深め、結びつきを強めてきました。一方、日々の暮らしの中においては日暮れをえて、酒を嗜み、一日の労苦を癒してきました。時には喜怒哀楽に酒を添えて、喜び楽しみは更に高まり幸福感を醸し、その反面悲しみと怒りは、世の道理や無情を悟らせ辛酸をなめあうなど、人生の深い味を与えてくれるものです。今般多くの人に、親しみをもって愛飲される酒文化の和(なごみ)の焼酎として「長寿の宴」と命名し産み育てるにいたりました。

当主 新福正志